縄文時代は紛争による死亡率が低かった

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縄文時代は紛争による死亡率が低かった

弥生時代の住民は自給自足の農業を行っていました。朝鮮半島からの移民が武器を持ち込み集落を形成し、戦争などの暴力が発生しました。縄文時代の人々は主に土器を作り、複雑な狩猟採集生活をしていたため、紛争による死亡率は低かったようです。

However, those living during the Jomon period were primarily pottery-makers who followed a complex hunter-gatherer lifestyle and had low mortality rates caused by conflict.

参照元:http://www.okayama-u.ac.jp/eng/research_highlights/index_id145.html
– 岡山大学 Okayama University. August 19, 2021 –

人間の戦争能力や、戦争が人間の本質として避けられないものであるかどうかは、人類学、考古学、哲学など、さまざまな分野の中心的な問題です。

狩猟採集から農耕への移行、武器の開発、生態系の制約、人口圧力など、集団間暴力のさまざまなきっかけについて、研究者たちはさまざまな考えを示してきました。

その中でも、近年、世界的な気候変動や環境破壊に伴い、人口圧力仮説が注目されています。

この仮説では、人口の増加により資源が不足し、資源をめぐる競争や紛争が発生するとしています。

この主張は広く受け入れられていますが、実際の考古学的データに基づいて、人口圧力による集団間暴力の起源を定量的に裏付けた研究はほとんどありません。

そこで、岡山大学の松本直子教授らは、九州北部の弥生時代中期(紀元前350年から紀元後25年まで)の遺骨や甕棺(かめかん)を調査しました。

この地域は、弥生時代の骨格が、それ以前の縄文時代の生活者に比べて、暴力の頻度が大幅に増加していることから、集団間暴力の調査の対象となっています。

松本教授は話します。

「弥生時代の住民は自給自足の農業、特に水稲栽培を行っていました。弥生時代の住民は自給自足の農業、特に水稲栽培を行っていましたが、これに朝鮮半島からの移民が石鏃や短剣などの武器を持ち込んだため、閉鎖的な集落が形成され、戦争や集団間の大規模な暴力が発生しました。」

「しかし、縄文時代の人々は主に土器を作り、複雑な狩猟採集生活をしていたため、紛争による死亡率は低かったのです。」

松本教授らのチームは、年代のはっきりした古墳の数を人口規模の代用として人口動態の変化を推測し、耕地に対する人口の割合から人口圧力を推定しました。

また、骨格の中に確認された負傷者の割合から暴力の頻度を算出し、人口圧力と暴力の頻度を統計的に分析しました。

この調査結果は、Journal of Archaeological Scienceに掲載されました。

研究者たちは、外傷のある47体の骨格を発見したほか、糸島平野では51の埋葬用壺のある遺跡、佐原平野では46の埋葬用壺のある遺跡、福岡平野では72の埋葬用壺のある遺跡、三国丘陵では42の埋葬用壺のある遺跡、筑紫平野東部では37の埋葬用壺のある遺跡、筑紫平野中部では50の埋葬用壺のある遺跡を発見し、6つの調査地すべてを網羅しました。

その結果、三国丘陵、東筑紫平野、佐原平野で負傷者数が最も多く、暴力の頻度も高いことがわかりました。

興味深いことに、三国丘陵と筑紫平野の中央部では、人口圧力の総合値が最も高くなっていました。

全体的な統計分析では、人口圧力が暴力の頻度に影響することが裏付けられました。

しかし、ピーク時の人口と暴力の頻度には相関関係がありませんでした。

三国丘陵や筑紫平野の中央部では人口圧力が高くても暴力の頻度は低く、筑紫平野東部や佐原平野では人口圧力が比較的低くても暴力の頻度は高くなっていました。

松本教授は、弥生時代中期の暴力頻度の高さに間接的に影響を与えた要因が他にあるのではないかと考えています。

「社会的な階層や政治的な組織の発展も、暴力のレベルに影響を与えたのではないかと考えています。日本の考古学では、『王』と呼ばれる特定のエリートが、武器や鏡などの威信財を大量に納めた墓を持っているという、階層的な埋葬システムが見られます。このような王の墓がある地域では、暴力の頻度が低い傾向にあることは注目に値します。このことは、強力なエリートが暴力の頻度を抑制する役割を果たしている可能性を示唆しています。」

松本教授らの研究チームが集めた証拠は、人口圧力と暴力の増加との間に正の相関関係があることを否定できず、現在進行中の終わりのないように見える紛争を回避するメカニズムを考案するのに役立つかもしれません。

また、これらの知見に基づいてさらに研究を進めれば、集団間暴力の根本原因を明らかにし、それを積極的に防止するための他の変数を特定できるかもしれません。

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